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kukkanen’s diary

障害年金で暮らす片づけられない女の日記

精神障害者になることの本当の辛さを母の日に考える

精神障害
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今日は母の日

トピック「母の日」をチラ見しました。

私だって、お母さんにこんなのプレゼントしたい。

でも、もう母の日にお母さんを喜ばすことはできません。

「母の日に何もしてくれなくていい。貴方さえ、元気でいてくれたら」

他の大多数のお母さんがそう語るように、私も同じ言葉を言われ続けてきました。

形や金額で気持ちを表せるわけではないけれど、まっとうに働き収入を得ているからこそ、母の日のプレゼントは意味のあるものになります。

貧乏になるということ

相対的な貧困に限らず、ケチな習慣はますます節約しなければ暮らせない状況に傾いていくという負の連鎖を生み出します。

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私もそんなに豊かな生活をしてきたわけではないけれど、平均以上の年収がある時代を経て、無職の今に至ります。なので、収入を得るための方法論はある程度わかっており、吝嗇ゆえに機会を逸している人を歯がゆく思うことがしばしばあります。

なにも「見栄をはって、お金持ちと付きあおう」というような話ではありません。肝心な時に財布の中を覗いて、小さな報酬を選ぶのか?それとも大きな報酬を見い出すことができるのか?ということです。

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あっても使えないお金

そういう意味で、私は世の中には「大きな報酬」が存在することを認知しており、それを得る術も知っているわけです。

働けなくても、障害年金をもらうことで日々の生活に困ることはありません。

でも、持っているお金を使えない。

その理由の一つに、精神の障害年金には必ず数年に一度の更新があり、永久に同じ額を受給できるわけではないという背景があります。

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ただし、年金の等級が下がったり、不支給となったりするのは、すなわち障害の程度が軽くなるということです。その分、就労できる可能性が高くなります。

ではなぜ、お金を使ったり、外の空気を吸ったりして、負のスパイラルから抜けだすことができないのか?

一番の理由は、「精神障害者」というスティグマを負っているからです。

自分の病気が双極性障害だと思っていた頃は、抑うつ状態が続いても「きっとまた、いつか良い波をつかむことができる」と信じ、人にどう思われようと自分の回復につながることなら、なんでも挑戦していました。

こんなふうに考えていた私がある日、突然ネガティブ思考に転じたわけではありません。

  • 精神疾患により一時的に低下しているだけだと思っていた能力が、発達障害と診断されたことにより、生来のものだと知ったこと
  • 自分の力で生きていくことが難しくなり、障害者手帳や障害年金といった社会資源を頼ることになったこと

会社を休職して、遊びに行くことにより気分転換をはかる人たちの問題が「新型うつ」とクローズアップされたのもその頃です。

自閉症スペクトラムを自覚しているからこそ、「他人の目」や「自分を取り巻く空気」に敏感になりました。

福祉のお世話になっている以上、他者からわかりやすい形で「健気に頑張っている障害者」を演じなければいけません。

それを仮病だと断じる人がいるかもしれないけれど、社会で生活する上でどんな人もなんらかのロールを生きていることに違いはないのです。女に生まれたから、自然と女らしいふるまいをするようになるのではなく、「女というロール」を生きることが生存戦略上優位だからそうするわけです。

うつ病で休みラーメン二郎に行く人より、復職に向けて図書館に通う人を応援したくなるのは自明の理であり、同じ効果を見込める場合でも他人の目を意識して、後者を選ぶことこそ、発達障害に欠けているとされる社会性です。

そんなことを思いながら、精神障害者としての日々を過ごしているうちにいつの間にか、自分だけの部屋でも笑うことができなくなりました。

悲しいけれど、生きていくってそういうことなのかな・・・。

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